1.わが国における獣医学のあゆみ
わが国の獣医の起こりとしては,神話にある大国主命が兎の皮膚の剥離に蒲の花粉を用い創面保護の処置をしたと伝えられており,これを獣医の開祖としている。その後,欽明天皇の時代(552年頃)に仏教がインドから中央アジア,中国,朝鮮を経てわが国に伝来したが,仏教とともに馬医術と治療薬も渡来した。さらに,聖徳太子(573-622)は,595年侍臣を高句麗から来朝した恵慈(馬医術に長けた僧)につけて,療馬法を学ばせた。これは太子流馬医術とよばれ,わが国の獣医学教育の最初である。また,桓武天皇の延暦23年(804)に,硯山左近将監平仲国が唐に渡り多年留学して馬医術を学んだ。獣医学の海外留学の始まりである。戦国時代(1467-1568)には,各武将は乗馬に関心を高め戦場に馬医を伴った。当時,主流を占めた馬医術の流派が桑島流である。江戸時代にはいり,享保10年(1725)にオランダから初めて馬5頭が輸入され,このとき幕府の招きでケイズルが長崎に来朝した。彼はオラン.ダ馬医療の本を持参し,騎法,療馬法を伝授した。これがわが国のオランダ獣医学の端緒である。さらに,イギリス獣医学については,1873年頃日本レースクラブ設立に伴い,イギリスの横浜駐留軍隊から獣医術と装蹄術が伝えられた。フランス獣医学については,1860年ナポレオン三世がアラビア馬26頭を幕府に寄贈,あわせてフランス式馬医術,蹄鉄術を伝授した。
明治に入り,明治4年(1871)に明治政府は陸軍を創設したが,軍馬の補充が最も困難な問題であった。当時,国内には近代の騎兵を乗せる乗馬や砲車を曳くばん馬の資源は皆無の状況にあった。明治元年(1868)に軍馬補充機関として大総督府厩が設けられ,明治7年(1874)には陸軍卿直属の軍馬局に改称された。明治19年には,陸軍省騎兵局が設置された。明治3年5月,軍事病院緒方中典医から医学校当直医内藤永橘が馬医の心得があることを兵部省に申し出て,人医と馬医とを兼務させられた。その後も,軍事病院に属している人医が砲騎兵隊所属の馬医を兼務した。明治6年,フランスの蹄鉄下士ビューストが陸軍兵学寮に雇聰され,蹄鉄生徒にフランス式の装蹄一般を学ばせた。明治7年,フランスの陸軍一等獣医アウギュスト・アンゴー(フランス南部トールーズ獣医学校出身)が日本陸軍の招聰により来日し,初めて馬医生徒に学科を教授した。
明治7年4月,明治政府内務卿は,内藤新宿(現在の新宿御苑)に農事修学場の開設を促し,獣医学教師としてドクトル・ジョン・アダムス・マックブライト(当時34歳)を招き,本格的な獣医学教育を始めた。札幌農学校は明治9年8月に開設され,獣医学教育は明治11年9月から明治20年1月まで,アメリカ人ジョーン・クラーレンス・カッターが担当した。一方,駒場農学校は,明治11年1月24日明治天皇御臨席の下に開校の式典が行われた。獣医学教育はドイツ人ヨハネス・ルートウィヒ・ヤンソンが担当した。
明治14年(1881)9月,陸軍馬医学舎出身の少壮陸軍獣医官10名合議出資で,小石川音羽町護国寺境内の一屋を借りて日本最初の私立獣医学校を開校した。現在の日本獣医畜産大学の起源である。
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