No.8 日本ウマ科学会創立10周年記念講演


4.馬と人との関わり -将来展望

1)馬は滅びるか?

 デンベック(1979)によると,世界中のほとんどの大都市では,馬が引っぱる乗り物や荷馬車は自動車に置き換えられたが,世界中の馬の総数は依然として6,000万頭を越している。高度に機械化された農業地帯においても馬は農民にとっては必要なサーバントとして残っている。未開発の道路しかない諸国では,ほろ馬車がいまだに主要な輸送手段である。都市での仕事の中でのある種の仕事は,馬を必要としている。ある条件下では,馬は他のどんな輸送形式や動力よりも,はるかに安いのである。

2)馬と人の関わり

 馬と人の関わりについて,有識者の意見を紹介する。

@木村梨花子氏(馬車文化財団馬の博物館学芸員)は,馬と人のかかわりを3期に分けている。第1期は馬が狩猟の対象であった時代であり300万年前に遡る。馬の肉,皮,骨などを利用するために狩猟した時代である。第2期は家畜化された後で紀元前4000年以降であり,馬の速さ,力強さという機能を求めた時代である。第3期は現代でコミュニケーションの時代としている。コミュニケーションに長けた馬などの動物によって,人の感性やプリミティブな人間性を回復しようとするものであり,馬のコミュニケーション能力が強く求められる時代であるとしている。

A局博一氏(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)は,人と家畜のかかわり方を,1)食料型(産業型)2)非食料型(コンパニオン型家畜)3)一体型(人と家畜が一体の生存様式)4)追従型の4つのパターンに分類している。今後のかかわり方の方向性として,1)食料資源だけの経済価値ではなく,そこに家畜が存在しているというだけで,すでにそれが何らかの経済的価値を持ち得る時代がきており,2)一定の牧場をしっかり維持していけば,土地の乱開発防止に貢献でき,3)車を捨て,馬に乗ったり牛に触ったりと,機械文明から開放されたれたレジャーの楽しみ方をあげている。そして,このような方向性の問題点として,動物のしつけと人間自体の教育が必要であるとしている。さらに,家畜は,福祉への利用,情操教育の教材,スポーツやレジャーとしても有用である。公共牧場に期待される機能として,1)環境保全への積極的な貢献(理想的な草地,林地利用),2)市民参加による畜産業経営,3)自然とのふれあいの場を提供(情操教育の発信地),4)畜産教育・啓蒙の場を提供(農業研修,展示など),5)ポニースクールやトレッキングのための自然空間の提供をあげている。

B澤崎坦氏(日本馬事協会顧問)は,馬との付き合い方として,1)柵を隔てた付き合いをなくす,2)人の心を先取りできる馬の特性を情操教育や更正手段として利用する,3)生き物同士の心の触れ合いの重要性を認識する,を指摘している。さらに,馬に接するための心得として,表8のようにまとめている。

表8.馬に接するための心得

動作
要領
禁止事項

接近する
・声をかけ,目線をあわせ,前方から
 近づく
・近づく人間が視野に入らない方向
 (後方や側方)方角からは絶対に接近
 しない

体に触る
・必ず掌全体で撫で回すように軽く,顔,首
 など体の前方の部分から後方へ移動させる
・掌を開き,その上に餌をのせて与える
・手に持っている物(固い材質)で
 は決して触らない
・やたらに食べ物を与えない

C林良博氏(東京大学農学部長)は,全国に散在する1,100ヵ所,20万ヘクタールの公共牧場は,国民の貴重な財産であり,これら公共牧場の新機能開発について提案している。主として牛が飼養されていた公共牧場に,馬づくりだけでなく,人づくりのためにも馬を導入しようというものである。

D1.ロビンソン(編),「人と動物の関係学」には,馬と人の関係について次のように述べられている。最近,わが国においても注目をあびている障害者乗馬については,障害を持つ人を馬に乗せることは,何世紀にもわたって数多くの文献に登場してきた。紀元前500年にすでにギリシャ人は治療不可能とされた患者を気分高揚の目的で馬に乗せている。さらに,治療的乗馬は,障害を持つ人々の生活を向上させるために用いられる,馬とのさまざまな活動の総称である。社会における馬の存在については,米国の騎馬巡査隊を対象とした調査では,警察馬は,警官の存在を主張し,より目立たせることから大変貴重な存在であると考えられていることが判明した。また,騎馬隊の存在で市街の犯罪が減少したのではという見解もあった。馬とともに暮らし,馬と仕事をしている人々を対象にした研究では,乗馬が乗り手の地位を物理的,そして象徴的にも向上させる効果があり,人はそれによって自らの力が増大したように感じることが明らかにされてきた。そのために歴史上,乗馬は支配階級のみに許された特権とされていたのかも知れない。欧州各地では,この地位の向上は歴史的な馬と地主階級とのつながりに起因するものと考えられている。米国では,乗馬はカウボーイに象徴される西部開拓時代と関連付けられている。またこれは自由の象徴でもある。人と馬との関係については,個人に所有されている馬の大半は,乗るために入手されるという点で他のコンパニオン・'アニマルと異なっている。ペットは一生涯同じ家族のもとで飼育されるが,馬は通常その生涯を通して何人かの飼い主の手にわたり,とくに一時的な乗馬用として購入されることも多々ある。子ども用にと入手された馬やポニーは,乗馬技術が向上する過程で何頭かの馬を取り替えることがある。馬の飼い主の責任については,馬を所有する人にとっては,馬の世話はたいへん時間と労力がいるものである。飼い主は,馬の行動を熟知しておく必要がある。ウマ科の動物は,社会性を持ち,自然の中では集団で生活している。野生の生活をする家畜馬にとっての基本的社会組織は,雄と数頭の雌で形成されているハーレムの固定された集団である。ハーレムを形成できない雄は,雄同士で「独身集団」をつくる。乗馬愛好者の実態については,馬の飼い主や乗り手に対して行った聞き取り調査では,乗馬をする者は概ね3つの集団に分かれる。第1集団は「成就」組であり,乗馬技術の向上にたいへん関心の高い人々の集団である。第2集団はむしろ馬との個人的な関係の方に関心が高く,「結び付き」組であった。第3集団は,単純にスポーツとして乗馬を楽しんでいる人たちであり,これは男性において目立った態度であった。

E峰崎由香里氏(奈良教育大学大学院教育学研究科の大学院生)の修士論文「乗馬をめぐる教育的考察」には,つぎのような報告がある。1992年に,小学校の正課の授業である「生活科」に動物飼育が組み込まれた。馬のしつけは,子供のしつけ方とかなりの共通点がある。馬の調教にはやさしさと厳しさの両方が必要であり,そこから信頼関係が生まれる。馬の体温は人間よりも約1度高く,皮下脂肪がほとんどないので,暖かさが直に伝わってくる。'その馬の暖かさが人間にリラックス効果を与えている。すなわち,副交感神経系の緊張を高め,精神を落ち着かせ,その結果,脈拍数が減り,血圧が低下し,胃液分泌が亢進すると考えられる。

F人と動物のこころ研究会(研究員:岩手大学農学部三宅陽一氏)では,「馬と人間との相互関係についての馬産農家へのアンケート調査結果」を報告している。岩手県内で農用馬を飼育している農家65人(男性:93.9%,女性:6.1%)を対照にアンケート調査された。何が支えで馬を飼っていますかの設問に対して,以下の答えがあった。

  自分の健康のため40.0%
  地域の振興に役立ちそうだから22.5%
  家族,孫だましのため16.3%
  商売になりそうだから13.8%
  その他7.5%

人間の都合を掛酌しては馬を飼うことはできない。年中休みなく,一日に数時間の時間を,朝早くから馬の世話に当てることは一大労働ともいえるが,それが自分の健康を保ち,地域の振興に役立ち,家族の喜びになっていることがよく窺われる。