馬の運動負荷試験のフィールドへの応用
デイビッド・エバンス博士(シドニー大学) 過去20年間ほど、馬の運動生理学分野においては、トレッドミルを用いた研究が盛んにおこなわれてきている。トレッドミルを用いて研 究する利点としては、走速度、走行距離など負荷する運動量が正確に設定できること、運動中や運動後における馬への採材が容易で多くの生理的パラメータが得 られることなどがあげられる。またデメリットとしては、馬のトレッドミルに対する馴致が必要なこと、事故の発生の可能性がフィールド実験よりも高いこと、 馴致が十分でないとデータの信頼性が低下することなどがあげられる。 現在流通している馬用ハートレートメーターの精度は高い。Kobayashi et al.(1999)は、フィールドにおいてサラブレッド競走馬のV200を測定した。走速度を1ハロンごとに漸増し、ハロンごとの平均走速度と平均心拍よ り算出した結果、騎乗者の体重(55kgと70kgを比較)はV200測定に影響を及ぼさなかったこと、ダート馬場ではターフやウッドチップ゚コースと比 較してV200は低く出ることを報告している。本報告を見る限り、データの再現性も優れており、調教によりV200値が上昇することも観察されていること から、フィールドにおいて大変有用な方法であるといえよう。 フィールドにおける運動中の酸素摂取量(VO2)や換気量の測定についてもさまざまな試行錯誤が繰り返されている。しかし、フィールドにおいて最大運動中のVO2や換気量については測定するには至っていない。主な研究としては次のものがあげられる。 Pollmann and Hornicke ( 1988)はテレメータを用いて、常歩と速歩中の心拍、換気量を測定した。彼らはその報告のなかで呼吸循環器系の疾患の診断や治療効果判定への有用性を示 唆した。Karlson and Nadaljak(1964)は比較的高速での運動中(11m/sec)の酸素摂取量と換気量を、カロリーメータをトラックに乗せ、マスクを装着した馬と 併走するという方法で測定したが、この年代にすでにロシアでは酸素摂取量の測定が試みられていたことは驚きといえよう。またHornicke et al.,(1988)は騎乗者にO2センサーを背負わせ、常歩、速歩、ギャロップ時におけるVO2、喚気量(VE)、換気当量(VE/ VO2),酸素脈(O2pulse)などを測定した。ただし気流量計とO2センサーの精度に限界があったため、最大運動時の測定までには至らなかった。ま たHanak et al (2001)はフィールドにおけるエルゴスピードメーターの紹介しているが、この報告では騎乗者が500 m/minで騎乗中にガスサンプルを採材していることがユニークな点といえる。また、酸素負債も測定している。以上の研究結果からも分かるように、今後こ の分野では馬の最大運動に耐えられるようなエルゴスピロメーターの開発が望まれている。 フィールドにおいて乳酸測定をする場合、運動を規定することが特に重要である。走行速度の変化は乳酸値に大きな影響を及ぼすため、一 定速度であることを条件として測定することが必須である。演者らはヒトで報告のあるsingle stepテストの馬における有用性を検討した(Evans et al. 1993)。13m/secから16m/secの一定スピードのもとで、800mの運動をさせ、運動後の乳酸値を計測したところ、5mmol/Lから 16mmol/Lで1ハロンごとの速度の変動係数(CV%)は5.2±1.9%であった。本方法はフィールドにおける乳酸測定法として有用と考えられる。 フィールドにおける馬の運動負荷試験は、獣医学領域における臨床検査法の一つであり、馬の体力評価への応用が可能である。しかし依然として、フィールドに適したさまざまな試験方法の検討が必要であることは否めない。 ヒトのスポーツ界では、練習の中で科学が積極的に取り入れてきている。競走馬や競技馬の世界においても、科学を取り入れることにより 疾病の診断、治療効果の判定、体力評価などが格段に向上することが期待できる。今後、実際の調教の現場に科学を導入することが、馬の運動科学を研究してき ている我々研究者の大きな役割と考えられる。 (JRA競走馬総合研究所 楠瀬 良) |