馬科学情報

Q&A

設立経緯

 

Q:日本ウマ科学会の設立経緯について

 

日本ウマ科学会の設立理由及び目的については、Jpn. J. Equine Sci. No.1(1990)に掲載されておりますが、設立経緯についてはほとんど記載されておりません。本会の設立に向けてどのようなメンバーが中心となって行動し、事前にどのような話し合いが行われたのかなど、より詳細な設立までの経緯について教えてください。また、日本ウマ科学会の設立は、その5年後に横浜で開催された世界獣医学大会(1995)のウマ部門(WEVA)の受け皿として必須であったという話も聞いておりますが、その真偽についても教えてください。

 

A1:お答え(受稿日:2015.11.13)  鎌田正信(JSES常任理事)

 

 JJES Vol.4, No.2(1993)の「対談―日本ウマ科学会の発足から未来まで―本好会長に聞く」の中で、本好会長が学会発足の経緯について述べられています。対談記事には、これまでウマに携わってきた人々は、獣医学、畜産学あるいは馬術、人文科学や社会科学のように広い分野の受け皿となるウマ科学会を作ったらどうだろうかと考えていたこと、第25回世界獣医学会(1995)の受け皿としてウマ科学会を作ってほしいとの申し入れがあったことなどが契機になったと記載されています。実際に設立に携わった方々の名前や設立に至るまでの詳細な経緯についての記述はありませんが、参照してください。

 

A2:お答え(受稿日:2015.12.3)  青木 修(JSES会長)

 

 日本ウマ科学会(JSES)は、1990年3月に設立総会を開催して、その活動が始まりましたが、その設立経緯となった一番の切掛けは、ウマに関する専門学会の国内開催における受け皿としての学術団体を設立することでした。当時のウマに関する国際学会は、上述の世界獣医学大会ウマ部門(WEVA)のほか、世界馬伝染病会議や国際馬運動生理会議(ICEEP)などでしたが、JSES設立の最大の引き金となったのはICEEPの国内誘致でした。

 ICEEPは4年ごとに競馬先進国が持ち回りで主催国となり、馬の運動生理学やバイオメカニクスあるいはスポーツ栄養学などの運動関連の学術情報の発信を目的としていたことから、この領域の研究を推進していたJRA競走馬総合研究所(総研)のスタッフや一部獣医大学の生理学関係の研究者など数人が、この国際会議に参加していました。それらの日本人参加者に対して、当時のICEEP主催者から近い将来の日本でのICEEP開催を打診されたことから、ICEEPを日本で開催することができれば、その成果は日本の競馬業界にとって多大な恩恵をもたらすとの確信を抱いたJRAの研究者と一部大学の研究者が主体となり、ICEEPの受け皿としての学術団体を国内に設立する動きが活発化し、JRA総研の全面的なご支援の下、1990年、JSES設立に至りました。

 本学会設立後、すでに国内での開催が決まっていた国際馬伝染病会議(1994年・東京)と世界獣医学大会ウマ部門(1995年・横浜)を後援すると共に、1995年にオーストラリアで開催されたICEEPにおいて、JSESの代表者が次回のICEEP開催国として名乗りを挙げ、1998年の第5回ICEEPの日本開催が決定しました。ちなみに第5回ICEEPは、JRA総研との共催により、総研所在地の栃木県宇都宮市において、国内外の研究者や競走馬関係の実務者約280名を集め、盛会裡に開催されました。