日本の民族文化の形成は,いくつかの異質文化の渡来により,重層,混合して成り立っている。この中でウマが社会経済の面で,人類の生活に大きく貢献して来たことは首肯できる事実であり,交通・運輸の手段として人と物を輸送し,或る時は戦争の具として,或る時は農耕や生産物運搬の原動力として,また人類にとってかけがえのない友達として長いつき合いが続いてきた。そのウマも戦争という人智の争いの中で武器の改良が進み,産業革命以降機械文明の発展がめざましく,特に内燃機関の発達によりウマが交通や輸送の手段に不要となって来たのである。せっかくこの間何千年もかけて,用役別に改良が加えられた乗用,輓用,駄載用などのウマの系統も置き去りにされようとしている。
動物が地球上で適者生存の不文律の下に,人と動物たちと環境を守り,個々の生物種が他の生物種と共存してきた。しかしその分布は,社会の変革につれ漸時大きく変化しつつある。この間,病める人に対する医学の発展,病める家畜に対する獣医療が台頭して来たのである。医学の源流は古く紀元前2000年くらいと考えられ,医聖ヒポクラテスを中心にギリシャ医学が同400年ごろ確立している。人類が狩猟生活から農耕,牧畜時代となって,動物と人との密接な関係が生じ,それら家畜の生活を支え,その生産物を利用するために,家畜に対する技術の改善が進む中で畜産学・獣医学が生まれて来たのである。
外国での獣医学は,馬医学から始まり,馬医書が著され,訳されて広く流布されて来た。明治初年,大久保利通は欧米を視察し,欧米文化の根幹をなす農耕牧畜に主眼をおき,指導者の招聘,優秀家畜の輸入,牧畜試験場,開拓吏学校,農事修学場,下総牧羊場の創設が図られた。エドウィン・ダンにより日高と新冠の馬牧場の開設が指導され,明治から急速にウマの改良が進められ,太平洋戦争に至るまでウマは重要な戦力として,改良増殖が図られて来た。この間農村生活にとってウマは農耕と運搬に従事する大切な家族として,また,幼少年への情操教育にも役立って来たのである。その戦争も終わって,食料事情が良化するにつれてウマ産業は競走用に集中し,近年,急速なウマ産業への発展がもたらされている。ところが,これに反し,関連するウマの学問分野での扱われ方は狭少化し,今や独立したウマのカリキュラムは排除され,各教科内容の中で,ウマを部分的に取り扱うという時代になってしまったのである。コンパニオンアニマルとしてのイヌやネコは手狭な家庭内で珍重されるのに、大きなスペースと排泄物の多いウマはコンパニオンとしての地位を保持することが許されなくなってしまったのである。かくしてウマの存在は競馬としてのみ活力が保持されている。このような経緯からウマの科学としての人類の歴史上の財産を後世に残す道を求め、ウマのもつ魅力を学問としても維持発展しなくてはいけないと考え、ここに平成2年3月31日、日本ウマ科学会の誕生の運びとなったのである。
この学会の目的は,ウマに関する基礎的,応用的研究の推進と学術の国際交流を図り,その成果を社会に還元しようとするものである。このため,定期的な研究発表会,機関誌の発行,海外の研究者との情報交換を進め,多くの先輩の築かれてきたウマ科学技術の向上発展と普及がなされなくてはならない。ウマの繁殖学における世界的権威である京都大学名誉教授西川義正先生を名誉会長に戴き,今日的なウマ科学の発展を踏まえ,将来へ大きくはばたくよう念願し,会員の総意としてここに日本ウマ科学会発足の挨拶に代えるものでる。
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